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90年代前半の全日空成田発着国際線
このページの最終更新日 2015年10月17日

 長年日本航空に独占されていた国際線も、いわゆる「航空憲法」とも言われた45/47体制の終了を1985年に決定。翌1986年に全日空が東京(成田)〜グアム線に就航し国際線に参入しました。しかしながら成田空港の発着枠は、当時滑走路が1本のみとあってかなりの制限がある状況。日米路線に至っては指定先発企業(インカンバンドキャッリア)でない全日空にとって、それに指定されている日本航空、ノースウェスト航空、ユナイテッド航空(パンナム権益を購入)の3社は大きな壁となりました。
 1991年9月の全日空の成田発着国際線時刻表です。全日空はグアム線に引き続き、同年中に成田〜ロサンゼルス、ワシントンDC線に、翌87年に成田〜北京、大連、香港、シドニーに、88年にソウル、89年にロンドン線に就航と世界の主要都市に順番に就航していきました。就航1路線目こそ、手近な観光地、グアム線でしたが2路線目からは一気に太平洋を越えて、アメリカ本土線に就航するなどと結構派手なものでした。当時がバブル期であったこともこうした強気の路線展開に繋がったものと考えられます。
 しかしながら、成田空港や相手国側での発着枠を十分に確保できていなかったためか、デイリー運航できた路線は僅か。運航していた路線も、曜日によってダイヤが全く異なるなど、使い勝手は日本航空に遠く及ばないどころか、外国キャリアであるノースウェスト航空やユナイテッド航空の方が、欧州線がないことを除いたら、全日空より明らかに使いやすいものでした。
 続いて、92年夏の時刻表です。前年に比較すると、新たにモスクワ、シンガポールに就航。一方でサイパン線からは撤退しました。この時点でも注釈の多さが気になり、使い勝手はまだまだな感があります。また、新たに就航したモスクワに至っては、成田〜パリ線のうち1往復/週が寄港する形だったので、とても拠点を置くことによる採算がとれるものではないでしょう。シベリア上空を飛行するための政治的な理由があったのかもしれません。
 90年代前半最後は、94年夏の時刻表です。92年と比較すると、欧州線にフランクフルトが加わっていますが、92年と比較してさほど便数は増えていません。バブル崩壊の影響も考えられますが、成田の発着枠が確保できなかったことの方が大きそうです。関西空港は1994年9月4日の開港で、それ以降、関空発着の国際線が爆発的に増えていることからも、発着枠不足の方が影響してそうです。
 ちなみに全日空の国際線が黒字化したのは2004年度。日航の牙城だった国際線に積極的に参入して運航することそのものが目的となっていた時代なのかもしれません。


時刻表データの参照元) JR時刻表 1991年9月号、全日空国際線時刻表1992年6月29日〜9月30日及び1994年3月27日〜9月3日

90年代前半の全日空国際線Aはこちらから 競合回避?名古屋、福岡からの国際線

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