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90年代前半の日本航空欧州線
このページの最終更新日 2015年10月17日

 全日空の国際線参入もそれまでの地位は揺るぎないもの。成田の発着枠にも余裕がなかった時代なので、先行者としてのメリットを存分に活かしていました。ただ、1991年9月当時は冷戦がまだ終結していない段階でシベリア上空の飛行制限は厳しかった模様。アンカレジ経由の欧州線はこの時点では健在で、モスクワ経由とともに便数の確保に活用されていました。(ソ連崩壊は12月)
 一方で、80年代のペレストロイカ(перестройка)、グラスノスチ(гласность)と少しずつソ連も開かれ始めていたのも確かで、ロンドン、パリ、フランクフルトといった現在に至るまで運航を続けている主要路線に優先的にシベリア上空飛行の直行便をあてていました。
  1991年9月の日本航空欧州路線の時刻表です。現在は就航していない、ドイツのデュッセルドルフ、スペインのマドリッド、デンマークのコペンハーゲン、オランダのアムステルダム、スイスのチューリッヒそしてイタリアのローマにも就航。就航地点は今よりもはるかに多くなっていました。しかしながらそれら地点へは週1〜2便程度で、今とは路線運航に関して考え方すら違ったのではとも考えられます。(ナショナルフラグキャリアとしての就航?)

時刻表データの参照元) JR時刻表 1991年9月号

90年代前半の日本航空国際線Bはこちらから 地方からも海外へ!熊本、長崎、新潟からも

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