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80年代後半の国内線
このページの最終更新日 2015年10月17日

 高速道路網が急速に整備されつつあった1985年当時の九州。しかし福岡から鹿児島、宮崎まで繋がったのは1995年。新幹線は博多から本州方面のみで九州新幹線が存在せず、鉄道も速くなかった時代。今よりも空路が発達していました。
 現在と大きく異なるのが、福岡〜鹿児島線。現在はプロペラ機が2往復のみで、鹿児島発着の離島路線への乗り継ぎを目的としたもの。流石に新幹線で80分もあれば博多〜鹿児島が結ばれる時代には、航空便はほぼ残っていません。当時とは大きく状況が変わったのでしょう。1985年当時はジェット機中心で、1往復/日は2通路ある中型のA300型機も混じる状況。かなりの利用の多い路線だった模様です。一方で福岡〜宮崎線は今とほぼ変わらぬボリューム。1985年当時は120人程度載れるジェット機中心の7往復/日に対し、現在は50〜70人程度乗りと1便辺りほぼ半分ながら、便数は15往復/日とほぼ倍。福岡〜宮崎間は現在、航空便とバスが互角になっており、鉄道が市場から追い出される形となっています。
 この他、大分〜鹿児島線、長崎〜宮崎線、長崎〜鹿児島線も航空路線が開設されていました。現在では全滅していますが、いずれも高速道路網や九州新幹線開業で廃止に追い込まれたのでしょう。

時刻表データの参照元) 国鉄監修 日本交通公社の時刻表 1985年7月号



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