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80年代後半の国内線
このページの最終更新日 2015年10月17日

 1975年に山陽新幹線は岡山〜博多間が開通し、東京〜博多が新幹線で結ばれ、陸路での東京〜中国地方間の所要時間も大幅に短縮されました。また当時は東京と各地を結ぶブルートレイン等の夜行列車も多数運行されていた時代でした。
 1985年7月20日〜8月31日の東京〜中国地方間の時刻表です。2015年10月現在と比較すると、どの路線もかなり本数が少ない状態。現在ではANA、JAL合わせて12往復/日運航している東京〜岡山線に至っては、プロペラ機が2往復するのみの有様でした。
 当時は航空運賃が完全な認可制で、45/47体制下で複数の航空会社が就航している路線もわずかで競争のなかった時代。今とは異なり割引切符もなかった時代なので、航空機が十分に利用者数を集められていなかった時代とも言えるでしょう。また羽田空港の発着枠は今の半分以下と足りておらず、鳥取、米子、出雲の各空港は2000m化される前の暫定ジェット時代。石見空港は開港していませんでした。さらに岡山空港は現在の岡南飛行場、広島空港は旧広島西空港といずれも旧空港の時代で設備はぜい弱。岩国空港の民間機再開前の時代。今に比べると東京、中国地方双方の航空インフラが脆弱だったことも便数の少なさに影響していそうです。

時刻表データの参照元) 国鉄監修 日本交通公社の時刻表 1985年7月号



80年代後半の国内線Bはこちらから 四国が離島だった頃、充実の伊丹〜四国路線

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