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80年代後半の国内線
このページの最終更新日 2015年10月17日

 「航空憲法」とも言われた45/47体制下の日本の航空業界。昭和45年(1970年)に閣議で了承され、昭和47年(1972年)に運輸大臣通達で航空業界を強く規制していました。当時は日本航空が国際線と国内幹線を担当。全日空が国内幹線とローカル線に就航し国際チャーター便も運航。東亜国内航空が国内ローカル線を担当し、幹線にも展開していくという流れでした。
 このほか、大手各社が出資した離島などのローカル線を担当した日本近距離航空(後に全日空系列の「エアーニッポン」となり、全日空に吸収合併)、日本航空と沖縄県による第3セクター、南西航空が存在しており、83年には貨物専門会社として日本貨物航空も認可されました。
 しかしながら、45/47体制は1985年に見直しが決定。その後、自由化へと舵を切っていきました。





 1985年7〜8月の日本航空グループ国内線時刻表です。「45/47」体制最末期のダイヤです。日本航空本体とグループの南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)の全便全路線でもこれだけのものでした。日本航空本体は、ジャンボ機やDC-10といった大型の機材のみで東京・大阪・札幌・福岡・那覇を相互に結ぶ大幹線のみに就航していました。しかも就航全路線の輸送規模は全日空と互角かそれ以上で、国策会社として純民間のライバルより優遇され、また強いブランド力があったことがわかります。この他、成田発着国内線も札幌、大阪、福岡に就航していましたが、必ずしも国際線の接続に便利だったとは言い難く、当時は成田で前泊・後泊や他の交通機関利用が当たり前だったのかもしれません。

 グループの南西航空は沖縄県にネットワークを構築していました。那覇〜宮古・石垣は現在と同じような便数が運航されていました。一方で2015年10月現在は、このうち、下地島、波照間からは定期航空便は撤退。粟国も日本航空グループの日本トランスオーシャン航空、琉球エアコミューターは運休しており、沖縄のネットワークも少しずつ変化した模様です。

 ちなみに、東京18:00発大阪行日本航空123便は、この時刻表期間内の8月12日に御巣鷹山での墜落事故を引き起こしてしまいました。これ以降、日本航空は123便が欠番となっています。

時刻表データの参照元) 国鉄監修 日本交通公社の時刻表 1985年7月号



80年代後半の国内線Aはこちらから 鉄道優勢の時代? 細々運航、羽田〜中国地方路線

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